「この世のものを超えた愛を届けたい」
一音の祈りの会 天谷史緒
わたしたちの歩みは、最初から何かをつくろうとか、コンサートを開こうと考えて始まったものではありません。
最初に、ただ「美しい、美しい、美しいもの」を求めたいという心がありました。
それは見た目の美しさではなく、もっと深く、魂がふるえるような美しさ、
“真の愛” “真理” “神の愛”としか言いようのない何かです。
その何かに惹かれて自然に集まったのが、わたしたち三人(天谷史緒、吉田直純、仲村渠祥子)であり、
ヴァイオリニストである青山朋永さんです。
青山朋永さん――わたしの幼なじみであり、“神への祈り”を映す音楽として知られるJ.S.バッハを中心に奏でるヴァイオリニスト。
彼の音には、「こう弾こう」という人間的な意図が感じられません。
人生の長い時間をかけて、彼自身のエゴが鎮められ、
「どうぞ使ってください」という心の姿勢が彼の中に育っていった、
その結果として、
”神の愛の純粋な音”
が彼をとおして流れているように感じられるのです。
そしてその響きに深く共鳴した、わたしたち三人。
この四人のつながりが、やがて「一音の祈りの会」という形になっていきました。
2024年6月28日、はじめて三人で青山さんのコンサートに行き、
バッハのゴルトベルク変奏曲を聴いたとき、全員の涙が止まりませんでした。
その音には、演奏技術や表現力を超えた何かが宿っていました。
言葉にできない、美しいもの。
それは、真理そのもの、真の愛そのもののようでした。
だからこそ、その響きを自分たちだけの感動としてとどめておくのではなく、
〈この世のものを超えた愛や美しさ〉を求めている世界中の人たちに届けたい――
そう願うようになったのです。
それが、「一音の祈りコンサート」の始まりです。
一音の祈りコンサートは音楽を聴く場というよりも、
ひとりひとりの心の奥にある“ほんとうに美しいもの” “真理” “神の愛”といったものを求める祈りが、静かに思い出されていく場であればと願っています。
どうぞ、音をとおして流れてくる愛に身をゆだね、
あなた自身の中にある“真の愛の響き”を感じてください。
わたしたちは、この音が必要なすべての人のところへ届いていくことを、
ただ信頼しています。
わたしたちの歩みは、最初から何かをつくろうとか、コンサートを開こうと考えて始まったものではありません。
最初に、ただ「美しい、美しい、美しいもの」を求めたいという心がありました。
それは見た目の美しさではなく、もっと深く、魂がふるえるような美しさ、
“真の愛” “真理” “神の愛”としか言いようのない何かです。
その何かに惹かれて自然に集まったのが、わたしたち三人(天谷史緒、吉田直純、仲村渠祥子)であり、
ヴァイオリニストである青山朋永さんです。
青山朋永さん――わたしの幼なじみであり、“神への祈り”を映す音楽として知られるJ.S.バッハを中心に奏でるヴァイオリニスト。
彼の音には、「こう弾こう」という人間的な意図が感じられません。
人生の長い時間をかけて、彼自身のエゴが鎮められ、「どうぞ使ってください」という心の姿勢が彼の中に育っていった、その結果として、
”神の愛の純粋な音”
が彼をとおして流れているように感じられるのです。
そしてその響きに深く共鳴した、わたしたち三人。
この四人のつながりが、やがて「一音の祈りの会」という形になっていきました。
2024年6月28日、はじめて三人で青山さんのコンサートに行き、バッハのゴルトベルク変奏曲を聴いたとき、全員の涙が止まりませんでした。
その音には、演奏技術や表現力を超えた何かが宿っていました。
言葉にできない、美しいもの。
それは、真理そのもの、真の愛そのもののようでした。
だからこそ、その響きを自分たちだけの感動としてとどめておくのではなく、〈この世のものを超えた愛や美しさ〉を求めている世界中の人たちに届けたい――
そう願うようになったのです。
それが、「一音の祈りコンサート」の始まりです。
一音の祈りコンサートは音楽を聴く場というよりも、ひとりひとりの心の奥にある“ほんとうに美しいもの” “真理” “神の愛”といったものを求める祈りが、静かに思い出されていく場であればと願っています。
どうぞ、音をとおして流れてくる愛に身をゆだね、あなた自身の中にある“真の愛の響き”を感じてください。
わたしたちは、この音が必要なすべての人のところへ届いていくことを、ただ信頼しています。
